日本の旅で経験した、日本が直面するオーバーツーリズムの課題

熟成とフィルターにかけた 10日間

 

日本から帰って 10日ほど。

 

京都や鎌倉で訪れた神社仏閣の想い出や、楽しかった旅のハイライトなどまとめて書いておきたいと思いつつ。

 

帰ってから何かと忙しく、単に時間がなかったのもあるのだけれど、あえてすぐに記事にしないで、少し時間を置いたら想い出が熟成されたり、何かしらの化学反応が起きるかもしれないとも思っていたりした。

 

そう、ブログを書くときに割とやっていることの 1つが、書きたいと思っている事をすぐに言葉にしないで、あえて時間を置いてみる。

 

そうすると自分の中で、あれも書きたい、これも書きたい、っていうたくさんの出来事がフィルターにかけられて、本当に残しておきたいこと、時間が経っても書いておきたいことだけが残って、自分の中で、私はこれが伝えたかったんだな、私が大切にしたいと思ったことは、このことだったんだな、だとか。見て感じた体験の中から、いいことも悪いことも含め、一番インパクトを受けた事柄が浮かび上がってくるようになる。

 

日本から帰ってきてからの 10日ほど、そのフィルターにかける作業を意識的にも無意識的にもやっていた。その中から出てきた、今回の日本の旅で一番強く印象を受けた出来事が、「オーバーツーリズム」を体験したことだった。

 

カタカナ英語/和製英語への強い違和感

 

観光関連で思いつくカタカナ英語と言えば、インバウンドやオーバーツーリズム。ニュースやメディアでよく見たり聞いたりするけれど、実体験を伴わない特にカタカナ英語は、言葉だけが勝手に一人歩きする事が多い。

 

日本の場合、英語ぽくすればカッコいいと思われるフシが強く、言葉の使われ方が本質とズレていることが多い。分かっている風な人たちが 〇〇、××、△△ とカタカナ英語を連呼しているのは、実に滑稽だと違和感を感じることも多々。

 

もう何年も前から使われるようになった、でも割と最近の言葉で 「ダイバーシティ」は良い例の 1つで、日本で多く使われているダイバーシティの意味はほんとはそうじゃないんだけどなーと思う事がよくあった。(今でも)

 

そんなことを考えつつ、「オーバーツーリズム」。ちらほら耳にしていたけれど、私にはその言葉の持つ意味がよく分からなかった。体験するまではね。

 

それが突然、自分の実体験と伴ったことで、何か課題を抱えて、急速に私の中に飛び込んできたように。実体験を伴わない言葉と、そうでない言葉ってこういうことなのだ。

 

オーバーツーリズム実体験

 

ちょっと話が反れたけれど、本題、日本でのオーバーツーリズム体験に戻ります。

 

今年の遅い紅葉、海外観光客の早めの年末休暇、アフターコロナ、円安など諸条件が重なったこともあり、私たちが日本を旅した 11月下旬の 2週間、各地でとにかく外国人の多さに圧倒されっぱなしだった。特に東京、京都での人の多さは衝撃的だった。

 

日本での出来事を振り返って頭に浮かんでくる光景は、観光地や繁華街での混雑、長蛇の列。特に飲食関連のお店の方が外国人の対応に疲れきった表情、困惑している表情。困惑を通り越して迷惑している表情。全体的に笑顔の印象がなかったな。

 

外国人観光客の大多数は、悪気などないし、雑だったり、失礼な態度でもない。日本の文化に馴染もうと、すいましぇーん、はい、ありがとうぅぅ、とお辞儀をして簡単な日本語の挨拶を使っている外国人も多く、好印象な振る舞いをしていてさえ、言葉が通じないっていうのは不必要で不条理な疲労やイライラを蓄積させることなのだと痛感した。

 

京都に午後着いた日、夕方から訪れた伏見稲荷。人が映っていない上の方だけ撮ると、まぁまぁ見映えよいですが。

 

実際はこれぐらいの混雑。鳥居が幾重にも連なる風景は日本人はもちろんのこと、外国人にとってはそれ以上に珍しく、伏見稲荷は京都で行きたい場所ベスト 3に入る場所。感覚的に 8-9割ぐらい外国人観光客と感じたぐらい外国人が多かったです。

 

京都初日、伏見稲荷で人の多さに衝撃を受けて、翌日行こうと思っていた嵐山の竹林は、混雑で竹よりも人を見に行くようなものだと、行くのをやめました。

 

京都錦市場。身動き取れない程ではなく、美味しいものが揃っているから、これぐらいは混むよねといった感じでしたが、人出は多かったです。

 

最大のオーバーツーリズム体験は清水寺。清水寺に続く、清水坂もすごかったけれど。

 

清水の舞台は、ちょうど日没とライトアップ時間帯待ちが重なって、コンサート会場状態。

夕暮れの景色を見ようと夫が娘を連れて、前列へ進むと言うので、私はいちばん最後列で待っていると言って、動かずに待っていたのだけど、混雑に紛れてすぐに 2人が見えなくなり、数列前にいるはずだと思ってキョロキョロしても見失ってしまい怖くなったほど。

 

東京も行った場所が、東京駅周辺、渋谷、池袋と買い物目的で繁華街ばかりだったこともあり、とにかくすごい人だった。こちらは築地場外。

 

渋谷ハチ公。ハチ公と写真を撮るために並んでいる長蛇の列!ぱっと見軽く 30分以上待ち。すぐに諦めて一番前まで行って、知らない人が撮っているところを写真に収めた笑える図 😂😂 順番待ちの人が入れ替わるタイミングでハチ公だけ撮れた写真もちゃんとあります^^

 

日本が直面するオーバーツーリズムについて思うこと

 

移動中、新幹線の改札出口手前で改札を通れず、アジア系外国人女性が何か困っているようだった。そこに立っていた駅係員に聞いているのだけれど、お互いに言葉が通じていないのでしょうね、駅係員が物凄いぶっきらぼうな態度で対応しているのを横目で見ながら、その改札を通った私たち家族。

 

夫と目が合って、あの駅員の対応は酷いねと無言の会話。横からちらり見ただけでも、その外国人女性がかわいそうに思うぐらい駅係員の対応が酷くて、彼女大丈夫かなぁ、と言って英語で助け舟を出しそうになった私に、ほっとけ、関わんなくていいから (Leave it lah.) と夫。まぁね、冷たいけど夫の気持ちも分からなくはない。あまりに外国人が溢れていて、1つ 1つの些細な事、あちこちで見かける、ちょっと困っている外国人にいちいち関わっていたら、自分たちの時間と労力が消費されていくのだ。

 

そして、その駅係員の態度は誰が見ても酷いなぁといった風だったのだけど、混雑を越えた混雑、圧倒的「オーバーツーリズム」をまさに感じていたからこそ、駅係員があぁいう態度になるのも理解できた。そりゃ疲れるし、もうどうにでもなれみたいになるのがむしろ普通の人だと思う。世の中そんなできた人ばかりじゃないしね。

 

日本人の方で観光地など現地で働いている方々が、外国人とコミュニケーションがうまくとれない事で、すごく疲れて擦り切れている。そんな風に見えたシーンが多かった旅。すごく考えさせられた。

 

どうしたら良いか、答えなど到底出せないし、ここで何か答えを見つけたくて書いているのでもない。だけど何かを動かして変えることが必要だと感じたし、変えるために、まずは考えることが必要だとすごく思った。   

 

YouTube で見つけた、日本語が流暢なアメリカ人の Steveさんが話している、日本のオーバーツーリズムについて考えてみたという内容に共感したのでシェア。

 

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