今日は他の話題を書こうと思っていたのですが、そんな時にちょうど飛び込んできたのが、ローレンス大臣のお父様が亡くなられ、お父様との思い出や人柄について書かれていた投稿でした。
コロナになってローレンス氏が対策本部の一線で活躍されるようになり、あの芯の強さや、厳しさ、その対極にある優しさ、暖かさは、どういった背景で育まれたものなのだろうと思うことがよくありましたが、それを垣間見るようなお父様の思い出話が書かれていました。
ローレンス氏が海南系のルーツを持つ方だと初めて知りました。
シンガポール人の約75% を占める中華系 (華人) ですが、華人の中にも民族による違いがあります。
福建人 40%
潮州人 20%
広東人 15%
客家人 8%
海南人 6-7%
その他
ざっくりとこんな割合ですが、ローレンス氏のお父様は 1940年代後半に海南島から移住してきた海南人とのこと。
中国本土からシンガポールへ移住した華人は、福建、潮州、広東の人たちが先で、海南人は華人の中で最も遅くシンガポールにやって来た民族。
当時は、民族ごとに就く仕事が決まっており、金融業、各種貿易関連など取引業、建設業、漁業関連、技術系専門職 (大工さん、工芸品制作、服飾業など) 主要な仕事は福建、潮州、広東の人たちで占められており、海南人がシンガポールに移住してきた頃にはできる仕事がありませんでした。
そこで海南人が最も多く就いた仕事が飲食業。イギリス植民地下、イギリス人高官やイギリス軍人などの家庭に入って、使用人(メイドのような仕事)をすることで、料理の腕を磨きました。イギリスの船に乗り込んで船舶内で食事を用意する調理人となったり。イギリス人に仕えることで、イギリスの文化を体得しました。
そういった中で、西洋と中国海南の食文化を融合させて生まれたのが、海南チキンライスの始まりであり、海南コーヒー(シンガポールで飲まれるコピ)の始まりです。
時代が移り変わり、世代交代して、今、若い世代で華人による違いはなくなってきているものの、海南系のルーツを持つ方は今でも古くから飲食業を営んでいる方、家族経営されている方が多く、ホーカー経営、コーヒーショップ経営、ローカルブランドのレストランなど、海南系の方と言えば飲食業です。
ローレンス氏の投稿の中で、マレー鉄道で調理人として働いていたおじい様を手伝っていたのがお父様で、貧しい家庭だったとあります。シンガポール人の多く、40代以上の方の一昔前の話を聞くと、うちは貧しい家庭だったと話す方が実に多いです。
そんな家庭環境の中で、政治家の道を進むことは異色でしょう。さらに政治家の中でも際立って活躍するというのはもっと異色だと思います。今だけを見ると、勉強ができて、良い学校を出て、難なく活躍する道を歩んできたように見えますが、第一線で活躍されている人こそ、人知れず努力していて、他の人にはない希少な家庭環境、背景、経歴を持っている方が多いと思います。
周りの人とは違うごく少数派であり、他の人が進まない道をただ一人で開拓しながら進むような力強さだと思います。
今年 4月、リー首相後の次期首相候補であったヘン副首相が首相候補を辞退しました。(それについて書いた記事はこちら) ヘン副首相辞退後、ローレンス氏に期待する声も多くなっていて可能性は高いですが、今年 5月から教育大臣になったチャン氏もローレンス氏よりももっと厳しい家庭環境や経歴を持った方で、不屈の精神を持っている方。
話題があちこちに飛びましたが、表面に見えること、見えやすいところだけでは分かり得ないことがたくさんあり、真実や本質、本当に大事なことこそ、そう簡単には語られない、見えにくいところにあるのだと思います。
↓ シンガポールのイラストをクリックで応援お願いします!