平等かどうかを感じる実体験があれば教えてください。
昨日、シンガポール人は平等について敏感であると記事を書いたところ、とある方から、シンガポールの日常の中で平等かどうかを感じる実体験があれば教えてほしいとのご連絡を頂きました。その方は日本で教育に関わるお仕事をされていて、教育現場で、子供たちの個々の違い、それぞれの個性を尊重しながらも、偏りなく皆を同じように見ることの難しさと、その重要性について仰っていました。
私自身、不平等のない理想的な社会の実現はとても難しいことを感じている反面、たくさんの人のちょっとの努力で変わることも感じています。多くの人が少し意識することで始まり、ちょっと考えてみてほしい話題だったので、ご連絡を下さった方に許可を頂いて記事にすることにしました。
私が人が平等であるかどうかについて、自分事として強烈に体験したこと、そのことによって平等について意識し始めたのは軍のボランティア部隊での経験でした。隊員は男性も女性もいます、国籍も違い、年齢も 18歳から45歳まで、学生から社会人まで、立場も職業も仕事での役職も様々。そういう人たちが一緒になってトレーニングをするのです。トレーニングをする私たち隊員も大変ですが、その集団を指導してまとめる側には違う大変さがあり、人それぞれの違いを認めつつ、皆に平等にチャンスがあり、平等に見てもらったという体験が、平等について強く考えるきっかけになりました。
シンガポールで生活していると、自分自身が「日本人だから」という条件をつけて考えることがよくあるのではないでしょうか。ボランティア部隊の中の多くの人の中で、日本人 1人だけだった私は、「日本人だから」という条件を自分につけて、その条件を使って他の人よりも優位になろうとする自分があることに気がついて自分を恥じました。何人だからとか、職業やあらゆるステイタスが何だからとかに関わらず、差別なく条件なしで平等に対応することに力を注いでいるリーダーを目の当たりにし、自分がそう対応されたことで、そうでない自分、条件をつけている自分を恥ずかしいと思いました。
軍のトレーニングでは、皆が平等であることに関して、リーダーである指導者がそれを実践して見せてくれますが、その「あり方」についても指導があります。集団なので、不公平だと感じる出来事はたくさんありますが、そんな時、どんな風に考えたら良いのか、どんな風に対応したらいいのかといった話しがあったり、様々な機会を通じて「平等なあり方」を学びます。
人は誰も自分がしたことや頑張ったことを認められたく、評価されたいもので、何かしらの集団の中にいれば、頑張っても評価されなければ、なんであの人ばかりが評価されるのか、なぜ私は評価されないのだ、と思うこと誰にでもあります。学校、職場、サークル、グループ、友達関係… そして何かに不平等だと感じたり、不平等なことを体験することで、平等の実現を意識するのではないでしょうか。
日常生活の中で、皆それぞれが持っている自分のフィルターを通して、無意識に優劣を判断していることが多いので、平等はそれについて意識をすることが始まりだと思います。
これはどこへ行っても人間の課題であり、シンガポールだからということではないのですが、シンガポールの場合「違うこと」が前提で「他者との違い」に触れる機会が圧倒的に多いです。民族、言葉、文化、あらゆることの違い… だからこそ、人種で判断したりしてしまいがち。私もよくやってしまうのですが。ちょっと意識をして、フィルターを外して見てみることで、目の前に見える世界がぐっと変わるのを感じます。シンガポール生活、海外生活で体験する醍醐味のひとつだと思います。
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イラスト提供 Instagram @singapolah