シンガポール人は「平等であること」にとてもセンシティブ

今シンガポールでちょっとした論議を起こしているニュース。

   

インドネシア人のメイドが雇用主の家で盗みを繰り返したとして逮捕され、当初有罪で懲役判決を受けたのですが、無罪主張と控訴の後、最高裁で無罪になった事件。ここだけを切り取ったら、ふーん、といった感じですが、この事件に関して様々な背景が絡んでいます。 

  

4年前、2016年10月に どうやらメイドがどうやら家の物を盗んでいるようだ、ということを理由に解雇され、インドネシアに送り返されるところから始まり、すでに 4年以上が経っていて、その間の経緯があれこれあるのですが、当初メイドさんは逮捕され、窃盗で有罪、懲役判決を受けましたが、無罪を主張し、控訴して最高裁で無罪になったのが最近のこと。

 

メイドの雇用主が元チャンギ空港グループ会長であったこと。社会的立場があり、社会的に権力のある方です。対して容疑をかけられたのはインドネシア人のメイドさん。明らかにどっちが有利でどっちが不利な立場か分かりやすいです。

 

疑問としてあがっているが、どうして当初有罪判決が下されたのに、最高裁で無罪となったのか。

-メイドとして働いて、雇用主の物を盗んで有罪になったのではないの?
-きちんとした証拠があって有罪になったのでは?  
-それがどうして、最終的に無罪にひっくり返るのか?   
-きちんと取り調べは行われたのか?   
-雇用主が社会的立場のある人だったからその人に有利になることが行われたのではないか?
-容疑をかけられた人がメイドという社会的に不利な立場だったから不当に扱われたのではないか?

  

焦点は、この事件の一連を通して、両者が司法の下に公平、公正に扱われたのかどうか、また警察、裁判所で公正な判決が下されたのかどうかということ。シンガポールは公的組織での汚職が少なく、クリーンであることが利点でもあり、この事件を通じてその公平さ、公正さに疑問が投げられたのです。

 

私はこの一件を通して、シンガポール人が、なぜ公平、公正という事にこだわるのかに注目しました。シンガポール人は「平等」かどうか、ということにとても敏感です。日常のあらゆるシーンでも感じることがあるのですが、最近では 7月の総選挙を通して、シンガポール人が高い「平等」を追求しているのを感じました。

 

これは National Pledge シンガポール国民の誓いにうたわれているシンガポール人としての約束事だからです。

 

We, the citizens of Singapore,
pledge ourselves as one united people,
regardless of race, language or religion,
to build a democratic society
based on justice and equality
so as to achieve happiness, prosperity
and progress for our nation.

 

誓いの言葉の中に、「人種、言語、宗教に関係なく、正義と平等に基づいて民主主義社会をつくります」 という一文があります。いつもこの約束を実行しているから、そこから逸れていることがあると、そこに立ち返って追求しようとします。国民の原則、約束がここまで刷り込まれているのはすごいこと。

 

多様と平等は相反する要素のような気もします。様々な民族がいて、皆違うことが当たり前。だからこそ民族の違いに関わらず、平等に扱われることは、人として本質的な願いであり、理想でもあります。「平等」を実現するのはとても難しいこと。現実社会では様々な不平等があるのが普通だから。私がこの一件を通していちばん感じたのは、シンガポール人の原則が常に National Pledge に強烈に基づいていることを改めて確認し、理想的な平等の追求が行われていることを感じたことでした。またクリーンな政治、整った司法制度があることで、外国人でも不当に扱われず安心して住める環境があるのは、私たちのようなシンガポールに住む外国人にとっても重要なことです。

 

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イラスト提供 Instagram @singapolah

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