200年で7つの旗がつかわれている、国旗変遷から見るシンガポールの歴史

シンガポールにラッフルズが上陸したのが 1819年。その 200年後が昨年 2019年でした。昨年は SG Bicentennial ラッフルズ上陸 200周年記念イヤーとして年間を通して、様々な記念イベント、シンガポールのこれまでを振り返るシンガポールの歴史、ルーツに触れるイベントが多数ありました。

 

今年はシンガポール独立 55周年。1819年から数えて 201周年です。この 201年の間、今のシンガポール国旗になるまでに使われた国旗は 7種類。簡単な内容になりますが国旗変遷の歴史に触れます。

 

【1819年~1826年】

イギリス東インド会社の旗

* 画像参照元

1819年イギリス東インド会社の社員としてラッフルズがシンガポールに上陸し、シンガポールを自由貿易港として切り拓きました。近代シンガポールの歴史はここから始まります。

 

同時期、東インド会社の旗とともに、宗主国イギリス国旗も使われていました。

* 画像参照元

 

【1826年~1942年、1945年~1946年】

海峡植民地旗

* 海峡植民地旗、海峡植民地章ともに画像参照元

イギリスによるマレー半島の主要貿易拠点 ペナン、マラッカ、シンガポールの 3都市を1つの行政地域とし、海峡植民地として管轄していました。

 

海峡植民地時代の国章は、行政の中心地であったシティホール周辺の歴史的建物、その他植民地時代に建てられた古い建物の中など割と数多く残っている場所があり、今でも見ることができます。中でもいちばん身近なのは、フラトンベイホテルに残っているもの。フラトンベイホテルは 1933年に Clifford Pier として開港しました。あのホテルの場所は港湾貿易の玄関口でした。

 

フラトンベイホテルの正面入り口のポールの下に海峡植民地章を見ることができます。

 

海峡植民地章

国章の盾の中に4つの地域を表すエンブレムがあり

左上 : シンガポール、右上 : ペナン
左下 :  マラッカ、右下 : ラブアン

を表しています。ラブアンは東マレーシア(ボルネオ島)の一部で、3都市より後の 1912年に同じ海峡植民地として管轄に入りました。

 

【1942年~1945年】

日本の国旗、大日本帝国軍旗(旭日旗)

* 画像参照元

日本がシンガポールを占領していた約3年半に及ぶ期間に使われていた 2つの旗。日本軍はシンガポールを昭南島と名付けていました。

 

【1946年~1959年】

海峡植民地旗

* 画像参照元

第二次大戦後、日本の占領から再びイギリスの植民地下に戻り、その間に使われていた旗です。

 

【1959年~現在】

現在と同じシンガポール国旗は 1959年12月、シンガポールが自治州となった時に制定されました。この時シンガポール国旗、シンガポール国章、シンガポール国歌の3つが同時に誕生しました。

* 画像参照元

 

【1963年~1965年】

現在のマレーシア国旗

* 画像参照元

1つ前の 1959年 シンガポール自治州となった後、1963年にマレーシアと合併し、マレーシアの中のシンガポール州として独立します。この間は 2つの旗、国旗と州旗が使われていました。

 

【1965年】

マレーシアの一州として機能したのは わずか 2年。2年後 シンガポールは絶望の中で独立し 1965年から改めて現在と同じシンガポール国旗となります。


 

こうして旗を見るだけでも目まぐるしい激動の歴史が伺えます。1年に 1度 シンガポールじゅうに国旗が掲げられる光景は、南国で桜は咲かないけれど 1年に 1度だけ桜が咲くように、私はシンガポール国旗の花が咲くシーズンだと思っています。後々想い出に残る景色になるので、ナショナルデーシーズンに国旗のある風景をたくさん写真に収めてください。🇸🇬🇸🇬🇸🇬

 

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イラスト提供 Instagram @singapolah

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