2015年3月23日から6年の時が過ぎて、シンガポールは今

3月23日 リークアンユー氏の命日。2015年3月23日にリークアンユー氏が亡くなられ、今日で丸6年経ちます。

 

在星長い方、あの時シンガポールにいらした方、大きく印象に残る出来事だったと思います。月曜日に亡くなられ、その週は日曜日までの 7日間、国として喪に服す期間となりました。3月、しばらく良いお天気が続いていたにも関わらず、亡くなられる前日の日曜日の夜、ものすごい雷と大雨が降って、危篤状態が続いていたリークアンユー氏に何かあったのではと、私も胸がざわざわしたのをよく覚えています。空ですら異変を察知し、7日間の最終日には国民の涙を表すかのように再び大雨となり、死してもなお空を動かす歴史に残る偉人と言われたりしました。

 

国が喪に服したその 7日間。リークアンユー氏の棺に最後のご挨拶をするため、国会議事堂へ並ぶ列が、長い時は 8時間待ちの列になったり。参列があまりにも大人数の為、当初オフィスアワーだけだった予定が、政府が気を利かせ 24時間体制で対応したり、国会議事堂に近い企業の方々が自発的に並んでいる人にお水を配ったり。コロナと背景は違いますが、不測の事態に迅速に判断して柔軟に対応したり、国一丸となる様子は今のコロナ禍ととても似ていました。

 

リークアンユー氏を失ったシンガポールはダメになる、力を失うと、特に近隣諸国から言われたりもしましたが、2015年はシンガポール独立 50周年のお祝い年でもあり、50年の節目がきっかけとなったこと、その年にリークアンユー氏が亡くなられたことが重なったり、リークアンユー氏なきシンガポールでも、国一丸となって進もう!といった流れに変わったのが 2015年でした。

 

今思うと SG UNITED ~ 困難でも力を合わせて進もう の動きが強くなったのは 2015年だったように感じます。

 

写真は 2015年3月 Straits Times 記事より
国会議事堂のリークアンユー氏の棺にご挨拶をする為、マリーナベイ周辺には長い長い列ができた様子。

 

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リークアンユー氏は、生前よりご自分を肖像として神格化することを嫌い、紙幣にする、銅像を作る、建物や道路にリー氏の名前をつける、といったことをしないよう遺志を残したと言われています。シンガポールの多くの人が「建国の父」と慕い歴史的人物であるリー氏の命日を偲ぶ何かがあってもいいのに… と私は毎年 3月23日にそう思うのですが、リー氏が亡くなられた後、メモリアル行事などは全くありません。

 

それでも リークアンユー氏は多くのシンガポール国民に慕われ、多くの人たちの心の中で生き続けているのを、日常のふとしたところで感じることが今でも多々あります。あれから 6年が過ぎました。新制シンガポールとなって、次の世代の人たちが、新たなシンガポールをつくろうと頑張っているなぁと感じます。そしてコロナ禍でもシンガポールの人々は頑張っていますよ。報告しなくてもその様子はきっと空の方から見えているかもしれないですね。

 

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