毎年2月は戦争の歴史を振り返る月 ~ 第二次世界大戦 : シンガポールの戦い

1942年2月8日~2月15日 第二次世界大戦、シンガポールの戦い

 

旧正月で華やぐ時期ですが、毎年2月 シンガポールでは戦争の歴史を振り返る月。

 

シンガポール陥落の 1942年2月15日は旧正月元旦でした。

 

日本軍によるシンガポール占領は「暗黒の時代」darkest time と呼ばれ、シンガポールの歴史で最も苦しい時代だった戦争を振り返るこの時期と、旧正月の華やかな雰囲気、対極的な 2つが交錯し複雑な気持ちにもなる時期。

 

まさに今、旧正月を迎えようとしているのと同じ 79年前の今、日本軍によるシンガポールへの空爆が激化、砲撃も始まり、庶民はお正月どころではない戦時下の日常を過ごしていたのです。

 

日本軍はシンガポール北西部から上陸

 

1941年12月8日 太平洋戦争開戦。マレーシアの東海岸コタバルからマレー半島に上陸した日本軍は、マレー半島北部からジョホールバルまでの 約1000km ほどの行程をたったの 55日間で踏破。1942年1月下旬にはジョホールバルに到着、ジョホールバルから シンガポール上陸の態勢を整えます。

 

* このシンガポールの戦い地図、資料については後に記載

 

2月7日 日本軍はウビン島に上陸

日本軍はウビン島に上陸し、北東部 (チャンギ方面) 沿岸から上陸すると見せかける陽動 (おとり) 作戦。これにあせった英軍は北西部に配備していた主力部隊を北東部へ移動させたことで、日本軍はおとり作戦に成功し、以下のシンガポール北西部 3地点から上陸しました。

2月8日 サリンブン海岸上陸

2月8日 クランジ海岸上陸

2月9日 コーズウェイから上陸

 

サリンブン海岸上陸 (Sarimbun Beach Landing)

 

ウビン島の陽動 (おとり) 作成に成功した日本軍は、英軍の隙を突いて北西部から 3部隊に別れてシンガポールに上陸。先陣を切って上陸を試みたのはサリンブン海岸。

 

サリンブン海岸上陸地点に戦争記念碑があります。

 

小道の先に映っているのはジョホール海峡。金網が張られていて海岸線には出られないようになっています。

 

記念碑には英語、中国語、マレー語、タミル語とシンガポールの公用語の他、日本語の説明もあります。

<記念碑より>

『このマングローブの海岸線からシンガポール侵攻の火ぶたが切って落とされた。1942年2月8日夜、日本軍第5師団と第48師団は砲火の援護を受けつつ、渡航艇を並べてジョホール水道を渡った。日本軍は2度上陸を試みたが第22オーストラリア旅団によって撃退された。しかし3度目の攻撃で防御を突破し、翌9日朝までにテンガ空軍基地を攻落した。

 

この記念碑は誰も訪れることのない所にひっそりとあり、アクセスも車でないと無理です。近くまで行っても辿り着くまでに心配になるぐらい辺鄙な所です。行ってみて下さいと気軽に言えるような場所でもありませんが、シンガポールの歴史、戦史にご興味のある方は一度足を運んでみるのも良いと思います。

 

4年程前まで Google map には、この記念碑のポイントが記載されていなかったので私が Google map への追加申請登録をしました。(Google map に記載のない場所、新しいお店などの登録は正しい情報が承認されれば誰でも登録できます) 行かれる方は Google map で Sarimbun Beach Landing site で検索してください。

 

クランジ海岸上陸 (Kranji Beach Battle)

 

クランジ海岸上陸の地にも戦争記念碑があります。

 

<記念碑より>

『クランジ海岸の戦い1942年2月10日朝、侵攻する日本軍が干潮に乗じてこの海岸線に上陸した。泥に足をとられた将兵らは英軍が流した油の中で立ち往生した。第1陣は英軍が油に放った火にたつと撃退された。

しかし、サリンブンとジュロンに上陸しつつある日本軍に退路を断たれる恐れから、英軍連合舞台に南方退却が命じられた。こうして日本軍は上陸を果たし、シンガポール侵攻の足場を固めた。』

 

この記念碑は Kranji Reservoir Park の中にあります。今は海に面して静かな公園、スンゲイブロウ湿地保護区に隣接していますので、スンゲイブロウに出かけることがあれば立ち寄ってみて下さい。クランジ記念碑もアクセスの良い場所ではありませんが、公園に面した道路はバスも走っているので、先のサリンブン上陸地点の碑に比べるとずっとアクセスしやすいです。

 

戦史資料について

 

いちばん初めにシェアした地図は、シンガポールの出版社から出版されている THE SURRENDER OF FORTRESS SINGAPORE という折り畳み式の資料に入っているもので、写真に撮ってから書き込みを入れたものです。背景色が茶色いしみのようになっていますが、古びた感を出すように、もともとこのようなデザインです。(英語の出版物)

 

単行本ぐらいの大きさで折り畳み式、両面にびっしりと歴史の記載があり、本ではありませんが情報量も多く見応えあります。日本語の歴史資料は本屋、アマゾンなどで入手しやすいですが、英語の資料は現地にいないと入手しにくいので、ご興味ある方はシンガポールで入手するのが良いです。ミュージアムショップなどで販売しています。

 

*

 

シンガポール上陸に成功した日本軍は、驚異的な速さでテンガ空軍基地、ブキティマヒルなどの要所を攻落。シンガポールの戦いはたったの 8日間で英軍の降伏によって終わり、その後日本軍によるシンガポール占領時代となるのは皆さんもご存じのところ。

 

シンガポールの戦いの歴史を残すため、写真のような本型の戦争記念碑がシンガポール各地に  20ヶ所あります。本型の記念碑があるのは主要な戦跡地だけです。戦争の歴史を辿る場所は、それだけではありません。全部でいくつあるか正確な数は分からないのですが相当数あり 100ヶ所では収まらないでしょう。2月、3月にかけて、シンガポール各地の戦跡、戦争の歴史をご紹介していきます。

 

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イラスト提供 Instagram @singapolah

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