今もひっそりと残る リークアンユー氏邸宅

38 Oxley Road

 

シンガポール国民の多くが今でも慕う建国の父、リークアンユー氏。2015年に亡くなられましたが今もオーチャードの外れにリークアンユー氏が住んでいた邸宅が残っています。

 

Oxley Road この辺りにお住いの日本人の方も多いと思います。Penang Road からちょっと中に入っただけで、オーチャードショッピングベルトの印象とはがらっと変わって戸建て住宅が並ぶ一角に、リークアンユー氏が住んでいた家があります。イスタナとほぼ垂直線上に位置していて、イスタナと地下で繋がっているとか、緊急時の地下通路があるという噂も。本当なのか都市伝説なのかは知る由もありません。

 

Oxley Rd からは目隠しのようにフェンスと壁で囲われているのと、頑丈なゲートがあり、中はほとんど見えませんが、植民地時代に建てられた建物が一部見え、その存在をよく見ることができます。

 

 

左右に1つずつ 2つの守衛所がそのまま残っています。中には扇風機と電話機も残ったまま。リークアンユー氏がお元気でここにお住まいだった時は、常にグルカ兵が何人かいて警備をしていました。

 

郵便受けもそのまま

 

リークアンユー氏は亡くなった後、家を取り壊してほしいと遺書に残したと言われている

 

リークアンユー氏は彼の亡き後、邸宅を博物館などにして公開することなく取り壊してほしいと遺書に残したと言われていますが、今となっては何が真相なのか分からなくなっています。2017年に思わぬ形で問題となって浮上。この邸宅をめぐってリークアンユー氏の長男であるリーシェンロン首相と次男リーシェンヤン氏の間で、邸宅存続、取り壊しをめぐって家族間の問題から国家的問題に発展し、シンガポールトップファミリーの汚点としてシンガポール国外にも広く伝わりました。

 

この件は落ち着いているように見えますが、解決したわけではなく、いつ再燃してもおかしくないやっかいな問題。リー首相は取り壊しに反対の姿勢を見せている中、弟と妹はリークアンユー氏の遺志に沿って取り壊したい、取り壊しをしないのは兄であるリー首相の政治権力を使ったエゴだといった内容を主張。その後、弟リーシェンヤン氏の奥様が弁護士で、彼女がリークアンユー氏の遺書作成に関わっており、遺書を書き換えたといった話もあり。どうなるのか分かりませんが法的措置をとっているので、和解、解決に向かったらと思います。   

 

歴史的建造物としても重要な建物

 

家は 1898年に建てられたもので、リークアンユー氏と家族は戦後 1940年代から住んでいました。シンガポールの建築物、文化を保護する政府機関 National Heritage Board によると、シンガポール全体で 200戸以上のバンガローが保存建築物として指定されているうち 16戸だけがリークアンユー氏邸宅と同じ建築様式。高い天井、瓦屋根、広いベランダ、深く張り出した軒などの特徴を備えた「アングロマレーバンガロー」というスタイルは、独特で建築物としても保存価値のあるもの。

 

1950年代 イギリス植民地からの脱退を目指し、マレーシアと合併して独立を望んでいたリークアンユー氏が中心となり、当時のシンガポールを引っ張る有力メンバーが集まり、今のシンガポール政府 (PAP) を形成する発祥の地となったことも、そう簡単には取り壊しにできない背景があります。

 

この写真は 2018年の Straits Times 記事より


 

個人的には保存してほしいと思いますが、取り壊されてしまう可能性も充分にあります。3年ぐらい経つとびっくりするぐらい景色がどんどん変わるシンガポール、お近くまで行った時に写真に残しておくのも良いと思います。

 

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イラスト提供 Instagram @singapolah

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