高鳴る太鼓の音が身体じゅうに響き渡る。心の奥底までぐわっと掴まれるかのように激しい音。
ぶちまけるのごとく爆音を鳴らす独特のインド音楽。
大勢の見物人によるざわめき、どよめき。喧騒の中から時折しっかりと聴こえてくるの活力に満ちた掛け声。
あの祭りの爆音をやかましい騒音と感じるのか、それともみなぎる生命力の響きと受け取るのか。針を刺して歩く苦行を異様な光景と見るのか、神秘的な行為と見るのか。それらは痛い、怖いと受け取るのか。
それは愛と恐れの選択とまったく同じ。
痛そう、怖いと思うのはごく普通なことで、まして初めて目にするお祭りであればそう感じる方がむしろ普通だと思います。痛そうだと思ってはいけないなんて言うつもりは全くないし、怖いと感じてはいけないなんて言うつもりもないです。そして苦行に向かうその本人であっても恐怖心は少なからずあるはず。
それでもなお、彼らはどうしてあんな苦行に立ち向かうのか?
それは恐れや苦しみを越えた向こうにある愛を信じる力、愛を選択した勇者だけが分かること。
苦行は厳しいものだから。苦行に向かう人が、心身と魂が持ちえる力を最高潮に高めて乗り越えられるように爆音を出して伝統音楽を演奏し、見守る人たちは雄叫びを上げて士気を高め、苦行する人、サポートする人が一体になってトランス状態を作り上げます。
すべては愛の力と信じる力。愛する人がいるからできること、愛してくれる人がいるからできること、愛する人がいるから応援できること。普通の常識を超越したところにある強烈な愛のエネルギーを感じるお祭り、それがタイプーサム。
奇祭と表現されたりしているのは事実。だけど彼らは奇祭だなんて思っていないし、当事者でない人たちが勝手に奇祭と捉えてそう表現しているだけ。目に映っている光景、彼らが行っている行為は激しく厳しく見えるかもしれない、でもそこにある見えないもの、自分自身と仲間、神を信じる力、愛を選択した人に宿る強烈なエネルギーはとてつもなく熱くて美しい。
人間の感情は最後まで大きく分けると愛と恐れのどちらかしかないと言われています。また、人が生きていく過程での選択肢は愛か恐れのどちらかだけ。
常に愛の選択をすることはすごく難しい、それでも愛を選択していこうよ。
今年は旧正月最終日の元宵節とタイプーサムが重なった 2月満月の日曜日、大きな大きなエネルギーを受け取りました。
*ランキングに参加しています*
シンガポールのイラストバナーをクリックで応援お願いします!
↓
にほんブログ村