ライブコルバン・命と信仰に触れた日 ~ ハリラヤハジを理解する (1)

2026年5月27日 ハリラヤハジの祝日。イスラム教の祝日で犠牲祭と呼ばれ、モスクで犠牲となる動物 (ヤギ、羊、牛など) を屠殺して捧げることからそう呼ばれます。

 

生きた動物を屠殺するその犠牲の儀式 (ライブコルバン) を初めて実体験した今年のハリラヤハジ。
* Korban, Qurban など地域や言語によっていくつかの書き方があり、どれも正しくコルバン、クルバンどちらも正しいです。

 

そのきっかけは、宗教や民族にまつわる祝日がほとんどのシンガポールで、どういう祝日なのか一番知られていないと思うハリラヤハジについて、もっと理解を深めたかったから。どうして犠牲祭と呼ばれ、動物を犠牲にするのか。知識としては知っていましたが、これ以上の理解を深めたいと思った時、リアルな実体験を通じて知りたい、実体験でなければこれ以上理解を深めるのは難しいと思ったのが始まりでした。

 

以前シンガポールではライブコルバンをモスクでやっていて、イスラム教の方だけでなく他の宗教の人たちでも気軽に見れるお祭りだったと聞いていました。が、シンガポールの発展と都市化に伴い、動物の屠殺は血液が流れるなど衛生上の面、また動物愛護の観点など、様々な理由によりライブコルバンをするモスクは年々少なくなり、今ではもうシンガポールでは見れなくなったとも聞いていました。

 

今はシンガポールだけでなく、世界的にもオンラインコルバンが進んでいて、お金を支払い、遠隔地で動物の屠殺を行うのが一般的。オンラインでライブ中継をした後、あなたが購入した動物は確かにコルバンが済みましたといった証明や連絡がメールで届くといった形が主流です。

 

でも、どういうわけか。シンガポールで本当にやっていないのかな? もしかしてどこかで見られる機会があるのでは? と何の理由もなしにそう思ったのです。誰かに何かを聞いたとかでもなく、神のお告げが降ってきたかのように。

 

調べてみると今でもシンガポールでライブコルバンをやっていることが分かりました。でもその先がよく分からない。どうやったら参加できるのか? どうやって申し込めるのか? いつもイスラム教のことを教えてもらったりして仲良くしているムスリムの友達に連絡。シンガポールでコルバンをやっている事までは分かったのだけれど、どうやって見れるのか知りたくて、5月末のハリラヤハジにライブコルバンを体験したいことを話しました。4月中旬のことでした。

 

彼女とはこれまでいろいろな話をしていて、彼女も私も神への信仰があるからこそ、特に宗教の話しや信仰について普通に話してきた仲。私がイスラム教について理解を深めたい、なぜリアルで体験したいのかという意図もすぐに理解してくれ、モスクに電話までして調べてくれました。

 

週末をはさんで数日後、友達から連絡あり。コルバンのためにお金を支払えば、ライブコルバンを見ることができるので一緒に行きましょうとなり、私たちは羊を 1匹購入しました。羊を 1匹買ったとはどういうこと? と思われるかもしれませんが…

 

こちらはシンガポール向けコルバンのオンラインサイトで、オーストラリア産の羊 1匹いくら、といったように動物の種類と産地によって金額が決まっています。

https://qurban.aliyahrizq.com/packages/

 

普段私たちは動物のお肉をスーパーできれいにパックされた状態で買いますが、それを生きた状態の動物から、儀式のためにモスクが注文をまとめて、供給元の牧場から買うと思って頂いたら分かりやすいと思います。

 

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~ハリラヤハジがなぜ犠牲祭と呼ばれるのか、その元となっているイスラム教の物語~

 

神からの夢

 
イスラム教の預言者イブラヒムは、長い間子どもに恵まれませんでした。

 

ようやく息子のイスマイルが生まれ、その息子が成長したある夜、イブラヒムは夢を見ます。

 

「愛する息子を神に捧げよ」という神の命令でした。
イスラム教で預言者が見る夢は神の啓示とされます。

 

イブラヒムは息子イスマイルに夢の話をします。
「息子よ、私はお前を捧げるよう夢で命じられた。どう思うか?」
 

すると息子は答えました。
「父よ、神が命じたことをなさってください。神が望まれるのなら、私は従います。」

 

父は息子をミナの地(聖地メッカに隣接する町)に連れて行き、神への捧げ物として刃を向けようとします。刃が落とされるその瞬間、息子の命の代わりに一頭の羊が捧げ物として与えられました。

 

「イブラヒムよ、お前はすでに夢を実行した。これはお前への試練であった。」

 
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[物語の意味]

 

父は最も愛する息子でさえ神へ捧げる決意をし、神を信じたこと。この物語はその究極の体現であり、父が神を信じただけでなく、息子も自らの意志で従った点にあります。神は実際の犠牲を求めていたのではなく、心の準備と信仰を試していたという点です。

 

この物語に由来して、ハリラヤハジにはコルバン、動物を犠牲にする儀式が行われます。

 

どうしても動物が犠牲にされる、殺されるという部分に焦点が当たりがちになるのですが、この物語に由来して、イスラム教徒は神への信仰心を改めて思い出し、信仰を深めましょうという神聖な日。ラマダンの断食期間よりもハリラヤハジのほうが 1年の中で最も信仰を深めるとそれが何百倍にもなって返ってくるそうです。

 

そして犠牲になった動物のお肉は、親しい家族の他に貧しい方々にもシェアして分かち合います。

 

信仰・試練・慈悲・分かち合いといった一連の意味の中で捉えることで、初めてハリラヤハジの本当の意味が理解できるのではと思います。

 

ハリラヤハジ当日のライブコルバン (犠牲の儀式) は次回へ。