シンガポール流 別れの美学

私はシンガポールにずっといる立場なので、これまで数え切れないほどの人がシンガポールから去るのを見送ってきました。何度も何度も別れを繰り返すたびに、たくさんの別れを経験するだけでなく、別れの哲学 別れの美学 といった 「別れ」 について深く考える機会を与えられてきたと感じています。

 

また新たな別れを繰り返す時、また去っていく人との別れを感じて。その時々の自分の心の動き、感情の移り変わりをじっくりと感じてきました。

 

多くの人が感じるように、誰かと別れるのは寂しいもの。せっかく仲良くなったのに、せっかく友達になったのに、始まったばかりのご縁なのに、また別れてしまう。私も最初は寂しく感じていました。   

 

どれぐらい (何年ぐらい) 経ってからのことか、もう覚えていないのですが、別れることに慣れてきます。別れることに痛みを感じなくなるのです。後になってみると、別れに慣れることはステージが変わるひとつのサインだったようにも感じます。   

 

でも それは、表面的には慣れているように見せかけているだけで、別れによって傷つきたくない人間の防衛本能によって慣れたように感じているだけなのかもしれないと思ったりもします。

  

さらにその先のステージに進むと別れの意味付けが大きく変わりました。

  

別れを前向きに捉えるようになって、別れに対して前向きに感じるようになって、別れに対する特別な価値観を持つようになり、別れは寂しくないものと感じるようになりました。

   

シンガポールは土地柄、出逢いと別れを繰り返す場所。

  

もともとシンガポールの成り立ち自体、移民によってできた国で、人が外からやって来ては帰ることが、人々の間で歴史的に繰り返されていた土地。

  

飛行機がなく船で移動していた時代に移動を繰り返していた人は、シンガポールを離れたら次にいつ帰ってこれるか分からないのが普通だったり。母国に帰る予定だったのに、帰れないままになったり、帰ることを諦めたり。そうこうしているうちに、そのまま当地に住み着くことになったり…

  

と、シンガポールは昔々から人々が移動を繰り返すことで、ポジティブなエネルギーを循環させてきたのだろう。そんな風に想うようになりました。

  

別れはネガティブなものではなく、いつの頃からか 別れはポジティブなものだと感じるようになりました。 

 

物理的に特定の場所から離れることは、少なからず人間関係に変化を与えます。離れてもご縁の続く人、疎遠になってしまう人、別の形でご縁が拡がる人、ほんとうにさまざまな形があります。

 

もちろんご縁がずっと続けばいいけれど、人と人とがつきあいを持てる数には限界があって、人それぞれのステージや状況の変化によって 近くなったり 離れたり。それで良いのだと思います。

 

どんなに親しい関係を築いて、ずっと仲良しでいようね! これからも連絡をとろうね! と言ってもその後望んだ通りににならないことも多いです。それは相手も新たな土地で新たな変化に対応して変化を重ねているように、私自身も同じ場所に身を置きながら日々変化をしているから。変わらないことのほうがあり得ない。万物流転とか諸行無常の言葉で表されるように、変わることを前向きに受け入れるようになりました。

 

この先お互いが変わっていく事も全てをひっくるめて、別れる時は別れにフォーカスするのではなく、ポジティブな気持ちで。一定期間を共に過ごせたことに感謝して。無数にいる人の中から出逢えたこととそのご縁に感謝して。いつかまたお互いの道がどこかで交差し合うのを楽しみに。別れる方のその後の更なる幸せとご活躍を願って。自分自身の成長のエネルギーにして、前向きなものに変えていこうと思うのです。  

 

別れは寂しいものではなく、ポジティブなもの。わたしの中で、答えは出ていたように思っていたのですが、また新たな別れを経て、シンガポール流別れの美学は次のステージへ進みそうな気がしています。

 

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イラスト提供 Instagram @singapolah

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