The last surviving kampong ~ シンガポールに残る最後の村

The last surviving kampong シンガポールに残る最後の村、ご存じの方も多いかと思いますが、シンガポールの人には Kampong Lorong Buangkok, Kampong Buangkok と呼ばれるとおり Buangkok にあります。

 

MRT 紫ライン、ドビーゴートから終点ポンゴルに向かって北上すると終点の 2つ手前が Buangkok駅。駅から歩いて 3kmもない所にその最後のカンポンがあるのですが、Buangkok駅は我が家の最寄り駅でもあり、最後のカンポンへも歩いて行ける距離。コロナでカンポンはどうなっているかもずっと気になっていたのですが、なかなか気軽に入って行ける場所ではなく 2017年に行って以来 3年ぶりに訪れました。

 

11月初旬 週末の早朝、お天気のいい日に自宅から歩いて行ってみたのですが、この 1ヶ月ほど記事にしようか迷って温めていました。というのも 3年前にはなかった カンポンへ許可なく入らないようにとの看板あり。

 

カンポンの土地所有者 Sngさんの許可なく入らないようにとの表示。以前はなかったので、入らないようにとの白い部分を後から付け加えたものと思われます。

 

許可なく行ってきたのですが、このカンポンいつ立退きになるかも分からず。変化の速いシンガポールで記録を残しておくことも大切だと考えて記すことにしました。

 

カンポンはその名の通り Lorong Buang Kok にあります。Buangkok の地名は、 Buang (スペースあり) Kok がオリジナル。周辺地域の道路などには Buangkok と名のついた所がいくつもありますが、時を経てスペースなしの表記が一般的になったものと思われます。

 

 

周辺は HDBが建ち並び、これからもまだまだ開発されるエリア。HDBが建ち並ぶ中、局地的に緑に覆われている部分があります。この木々が茂っている向こう側がカンポン。

 

Kampong Buangkok の歴史

 

もともとは川沿いの沼地だった一帯。1956年に中国の漢方薬を売る商売人だった Mr Sng が土地を買い、その地域に住む人に土地を賃貸し始めたのが Kampong Buangkok の始まり。現在の土地所有者は最初に土地を買った Mr Sng さんの娘さん。カンポンに住み続けている家族は約25家族で、安価で土地をリースするという当初からの計らいは今も変わらず、月に $4.5~$30 という驚くべき価格でリースされています。

 

木製の壁にトタン屋根。このような住宅が残り、実際に住人がいて生活している様子を見られるのはシンガポール本島だけではここだけ、他にはウビン島にもカンポンハウスがありますが、シンガポール全土でも数少なく希少です。

 

カンポンの様子

 

カンポン内、未舗装の小道

 

平屋の家が多いですが、2階建ても

 

あれっ? と思うことがありましたか? シンガポールでは電柱、電線は見ないですよね。全て地下に埋め込む方式をとっているからですが、ここでは電線によって電気が供給されています。

 

1954の文字は西暦ではなく、郵便番号が4桁時代の表示の名残

 

モスクもあります。正しくはモスクではなく surau、 surau は簡易的なイスラム教徒の方のお祈りスペースを意味します。

 

開発か保存か

 

村を一歩出ると HDBに囲まれ、ここだけポツンと時間が止まったような別世界なことが分かります。村はこれまでにも存続の危機にあってきました。ある国会議員によって村の存続が支持されたことがありましたが、なんとか立退きにあわずに今もあるといった状態。遠くない将来には政府から立退き依頼が出ることは目に見えています。もしも仮にカンポンに自分の家族、例えばおばぁちゃんが住んでいると仮定して考えてみても… 私だったら HDBが便利で安全だから引っ越しなよと説得するかもしれません。もちろん おばぁちゃんにとって村は大切な場所であり、村の暮らしは不便だとかそんなことまったく関係ないことも分かった上で、仕方ないけれどそれを選ぶと思います。

 

開発か保存か、みなさんだったらどのように考えますか?

 

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イラスト提供 Instagram @singapolah

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