コロナ禍で想う、何を見てどんなストーリーを伝えたいのか

シンガポールでは初のコロナ感染者が報告されたのが 1月23日。それから早や4ヶ月。

 

毎日ジェットコースターに乗っているかのような、右へ左へと揺さぶられる激動の日々。ついこの間までの日常が次々と上書きされ “new normal” が誕生していく。数か月前、social distance/safety distance なんて聞いたこともなかった言葉、当初は戸惑った行動が、今やすっかり世界の常識。

 

世界はこんなにも劇的に変わるのだ。

 

考えもしなかった非日常が日常になる世界。

 

個々の激動的な体験は人それぞれの人生であると思うけれど、世界の人が同じ出来事を通してこんなにも激動を経験するのは、生きている間でそんなに何度もないと思う。

 

強制再起動をこれでもかと繰り返して、新しい世界へ引っ張られていく毎日。

 

今まで当たり前だと思ってやってきたことがどんどん古くなる。

 

不要なものを削ぎ落とし、新たな世界へ行くための脱皮。これからの時代、これからの社会、これからの未来とどうやって関わっていけばよいのかを突き付けられ、真剣に問われる日々。

 

世界が「コロナウィルス」という得体の知れないものと対峙する中で、私は不要なこと、もういい加減やめた方がいい大切なことにつくづく気付かされている。

 

もう、ほんっとやめようと感じていること。それは他者に対する批判、否定に満ちた言動、心無い言葉。自分本意な考えからの不満、行動、発言。

 

例えば 世界各国でロックダウンになると発表されれば、どこの国でも起こる現象は同じだった。シンガポールでも買い占めに走る人がたくさんいたし、日本でも同じ。そんな行動をあざ笑う人が必ずいる。〇〇人だから、ではなくて、国や人種を越えて文化背景が違っていても非常時に人間がとる行動はほぼ変わらないのだ。

 

シンガポールで外国人労働者の感染者数が爆発的に増えた後、「優等生シンガポールの感染者数が最悪に転じた」といった内容のニュースや記事が次々と上がってきた。日本語だけでなく同様の英語のニュースも多数。

 

ドミトリーで外国人労働者の感染者数が爆発的に増えたことは事実であり、シンガポールは苦戦していてそれは今も続いている。でもそれに真摯に対応し、義務や使命を越えた域で現場に入っている人にしか分からない別の側面があることも事実。

 

例を挙げればきりがないけれど。コロナ禍によって引き起こされた、あらゆる種類の「痛み」を見たり感じる中で、他者の痛みに対する心の寄せ方や想像力の使いかたを今まで以上に考えるようになった。

 

同じ出来事でも、人によって捉え方や意味付けが違い、どう表現するのかは自由だけれど、単に批判的になったり、攻撃的になったりする時、そこには自分の知らない真実や、見えていない真実が存在する事にことごとく気づかされた。

 

私自身もこれまでに、ひどい行動、発言をたくさんとってきたからこそ、気づいたこと。

 

批判してはいけないとか、不満を言ってはいけないという意味ではなく、違うと思うこと、言いたいことや意見があれば言ったらいい。でもそこには他者への敬意、痛みへの敬意を持ちたい。

 

起きている出来事(ストーリー)のどんなことを伝えたいのか、どんな言葉を使って表現するのか、どこを切り取って伝えたいのか? 今 個人で発することがニュースと同じぐらいの意味があったり、偏ったメディアによるものよりも一個人の発信することの方が信頼の高い情報もたくさんある。

 

私もこうして日常的に何かを言葉にして発信する1人として考えたいことだし、1人1人が自分に問いかけ、考えて実践することだと思う。

 

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