2015年3月23日~29日、シンガポール独立以来の国家が喪に服した7日間でした。週が明け平静を取り戻しているシンガポールです。
2015年3月29日 日曜日、7日間の最終日はリークアンユー氏の国葬でした。
夫と私、5歳の娘も一緒に、そして夫の姉とも合流して最後の見送りに出ました。少しでも近くまで行ってお見送りしたいという気持ちでした。
自宅を出る時に小雨がパラパラと降ってきてお天気の悪い日でした。
MRTで City Hall駅に着くと、駅前でランの花がついた喪章を配っている人がいて、善意で配っているようだったので、ありがとうを伝えて4人分頂き胸につけました。
国葬開始はお昼12時半から。私達は10時半頃にパダン近くに着きましたが、棺が通る道路に沿って見送りをする人々が既に何層にも出来上がっていました。最前列に並ぶことは無理でしたが、比較的見通しの良いパダンに沿った St Andrew’s Rd 沿いに並びました。
雨は、しばらくは傘が要らない程度になんとか持ちこたえていたのですが、11時頃になって急に強く降り出して、雷もゴロゴロと鳴り出しました。
かなり強く降り続く中、皆 辛抱強く1時間半以上待ち続けました。
不満を言う人もいなく、近くにいる人どうし、チョコレートを配る人が出てきたり。私の後ろにいた男性は傘を持っておらず、私達は3本持っていたので1つを手渡し、私は隣にいた方の傘の中に入れてもらいました。
最後のお見送りには雨はぴたっと止むのではないかと思いましたがずっと降り続きました。
大粒の雨が国民の気持ちを表しているようで、この日のお天気のことは、死しても空をも動かすリークアンユー氏と言われました。
棺が運ばれる砲台の車が沿道を通って行く時、哀しいというよりも人々が感謝の気持ちを伝えたいというエネルギーが溢れ出しました。
Lee Kuan Yew !
Lee Kuan Yew !
Lee Kuan Yew !
の掛け声が上がりました。
夫も私も力いっぱい叫びました。
この写真は後日、姉が送ってきてくれたのですが、おそらくどこかのメディアのものかと思われます。私達がお見送りをしたパダン前の様子です。
シンガポールにとって偉大なリーダーを失ったことは痛恨の極みですが、シンガポールはこれからもリークアンユー氏の遺志を引き継いで、更なる変容の波に乗ってゆくことでしょう。
リークアンユー氏の魂は、晴れの日は太陽となり、雨の日は雨の雫となり、稲妻となり、雷となり、夜は月に、星に、そして空となり、雲となって、これからもシンガポールを空から見守ってくれると思います。
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イラスト提供 Instagram @singapolah